渦中の恵があとで現実になる
人生の困難の意味は、ずっと後になってから分かる場合が多いのかもしれません。
それはまるでジグソーパズルのように、人生のピースがはまり始めてようやく全体の絵が分かるようなものなのでしょう。しかし、時間によって癒される中で、他のピースがはまるまでじっと待ち続ける必要が本当にあるのでしょうか。
以前の投稿で、私が病院のベッドの上で病気の恩恵を数え始めたお話をしました。けれども、始めは挙げることがなかなかできずにいました。
足はピクリとも動かず、寝返りも打てず、頭を掻くことすらできない状況で、よくわからない病気と先の見えない入院生活も相まって、心は固く閉じられていたからです。ですが、書くと決めて続けていくと出てくるもので、いつの間にかその数は数十個に到達していました。
例えば、時間ができたことにより自分の人生を振り返るきっかけになったり、読書ができたり、家族のありがたさが身に沁みたり、体を動かせる喜びに気づいたり、身体的な弱者の気持ちがわかったり、今ここにあることへの感謝の気持ちが出てくる、などです。
またこの時点では、その恩恵に浴していないこともたくさん書かれていました。それはまるで、これから得られるものを先に予約しているようなものでした。
そして時間の経過とともに、これらの恩恵は実際に起こって確認されていきました。そうです、時間が後追いで現実のものとなっていったのです。
恵の種を植える練習をする
困難の渦中にいながらその恩恵に気づくという発想自体を不思議に思われるかもしれません。また、それは難しいという思い込みが私たちの奥底にあるので、浮かんでこないのかもしれません。誰もそんなことは教えてくれなかった、ということもあるでしょう。さらに、私たちは困難の負の面ばかりに気を取られてしまい、エネルギーを消耗してしまっています。
もし、今、あなたがちょっとした困難の最中にいて、早くそこから抜け出したいという気持ちでいるなら、少し練習をしてみませんか?
自転車に乗れるようになったときのことを思い出してみて下さい。補助輪からはじめて、ふらふらしながらも、ようやく前に進められたときのことを。
怖がってゆっくりこぐと不安定でぐらぐらしてしまいますが、覚悟を決めてえいやとこぎ出すと、左右にぶれずに真っ直ぐ進められることを体で覚えたはずです。そしてそれからは、乗れなくなったことはないはずです。自転車に乗るのとと同じように覚えることができます。
時間がその困難の恩恵を証明してくれるまで待たなくてもいいのです。
今ある恩恵に気づく練習をし、これからの恵みも先に予約をしてしまいましょう。収穫の種を今から植えてしまいましょう。