ギフト

困難に意味を見つけるとギフトになる

ギフト=意味+希望

世界で初めて全盲ろうの大学教授となった福島智さんは、ヴィクトール・E・フランクルさんが見つけ出した「絶望=苦悩マイナス意味」という公式をユニークな式に変えました。

絶望と希望は正反対のものとして「絶望=マイナス希望」を代入することで、まず「マイナス希望=苦悩マイナス意味」と書き換えたのです。

ここで左辺右辺にある「マイナス希望」と「マイナス意味」をお互いに入れ替えることで、「意味=苦悩+希望」という公式にしました(1)。まるで数学ですね。

「苦悩の中で希望を抱くこと、そこに人生の意味がある」ということを表しています。

ちょうど意味とギフトについて考えていた私は、この式を見た瞬間に身震いするような衝撃を受けました。そして、自らの経験に照らし合わせて、じっくり式を眺めているうちに、こう思ったのです。

 困難や逆境が生み出す「苦悩」そのもの自体に「意味」を見出したときに、「苦悩」が「意味」に転換されると同時に、「意味」が蛹から蝶に変態するように「ギフト」に昇華して、「ギフト=意味+希望」となるのではないか。

「意味」だけでは頭でっかちになって動けず、「希望」だけでは目指す方角がわからないので、前に進めなくなったり、道を誤ったりしてしまいます。
「希望」という光が照らす道を、「意味」を胸に携えて、一歩一歩進んでいくことが「ギフト」につながるのではないでしょうか。

病のメッセージ

私は、自分に突然起こった四肢麻痺という症状に隠された恵みを数え、毎日の感謝を綴る中で、少しずつこの困難の「意味」というものを考え始めました。

恩恵を数えれば数えるほど、「意味」について思いを馳せざるをえませんでした。
そして、過去にあった自分の危機を紐解くと、共通する自分の状態があることに気づきました。

それは、自分の頭で考えていること、口にしていること、行動の三つが一致せずにバラバラになっているときに危機に陥っている、ということでした。
今回の病気もつながっていて、同じことのように思いました。

 私はある時、このことを確かめたい思いで、人間行動学の世界的な権威であるジョン・F・ディマティーニさんの健康に関する講演会で質問しました。
ディマティーニ博士はカイロプラクターとしてドクターを取得され、独学で三百もの学問を修めた知の巨人です。

「私は自己免疫疾患の病気を患っています。抗体が誤って自分の運動神経を攻撃していました。自分への裏切りのようなものです。私は自分の思考、言葉そして行動を一致させなさい、というメッセージだと思うのですが、ご意見いただけますか?」

病気の詳細についてよくわからないけれど、と前置きした上で、「自分に対する過剰な期待があったり、他人の価値観で生きていたり、自分は救われていないという思い、自分に対する嫌悪感があるのかもしれない」という返答をもらいました。

数日後、ディマティーニ博士のセミナーで指導を受けてから、「嫌悪している自分の特性」、例えば、自分が怠惰であること、自分をコントロールできないことなどに対して、メリットもデメリットも同じ分だけ見続けるワークを徹底的にしていた時のことでした。

突然、頭にカチッとスイッチが入ったかのように、物事のつながりが明るくぱぱっと見えて、瞬間的に気づいたのです。それはまるで、稲妻が脳内に落ちたかのような衝撃でした。

「この嫌いな面が自分になかったら、病気にならなかった。嫌な面があったから、病気にさせてもらえた」

 そして、自然に出てきた「病気にさせてもらえた」という言葉に驚きを感じながらも自分で反芻していると、何かとてつもないことに気づいてしまった、という感覚に襲われました。そして、矢継ぎ早に次の気づきがやってきました。

「そうか、自分が嫌いだと思っている面もすべて愛するために、病気になったんだ!ありのままの自分を好きになるためだったんだ!」

その瞬間、嬉しいわけでもなく、悲しいわけでもない、今まで経験したことのない涙があふれてきて、頰を伝ってこぼれ落ちました。私の中の病の定義が根本のところで変わりました。

こうして、困難の意味のメッセージを受け取ったその日から、自分の病をギフトだと言えるようになりました。

当時の私の「希望」であった、身体の回復と復職に、困難の中の「意味」が加わって、「ギフト」に変わったのだと思っています。

そして誰しもが、渦中にいながらにして意味を見つけることで、「ギフト」にすることができると信じています。

(1)「ぼくの命は言葉とともにある」(福島智著、致知出版社)