制限と聞くと、縛られるような窮屈な感じがして、息苦しい気持ちになりますよね。
言葉だけで、これだけ意識の状態を変えられてしまうわけです。
実のところ、私たちは、今現実には起こっていない幻想や思い込みによって簡単に飲み込まれてしまいます。
この記事では、まずこうした構造と制限のカラクリを明らかにします。そして、人生の困難のレベルを下げたり、途上に出てくる不安への対処法や思い込みを疑う方法をお伝えしていきます。
この記事を読むと、あなたは制限や思い込みからより自由になって、自分の人生の舵取りが自在にできるようになる生きた知恵が身につくでしょう。
制限と障がい
ひとつ思考実験をしてみましょう。
ここに、五体満足で体を自由に動かすことができて健康ではあるけれど、
「自分には何の可能性もないし、何もできない」
と思っている人がいたとします。
一方で、首から下が麻痺していて身動きはできないけれど、
「自分は思考したり声も出すことができるし、人にお願いすれば移動もできる。だから無限の可能性が広がっている」
と考えている人がいたとしましょう。
この場合、いったいどちらの制限の方が大きいでしょうか?
これは、私が施設入所中に「障がい」とは何だろうかと考えていたときに思いついた質問です。(ここでは、疾病や人生の「障害」がある状態を「障がい」と表記し、両者を区別しました。ここで言う「障がい」は、「障害」や「障碍」と書かれることがありますが、違いの明瞭さと読みやすさを重視しました。)
さて、前者の場合、身体の制限はない一方、精神的な制限があります。後者はその逆ですが、ただの言葉遊び以上のものがあると思いませんか?
前者にとっての制限は、自分らしく人生を歩む途上の「障害物(Obstacle)」という枠を超えて、もはやその力がないという「障害(Disability)」のレベルにまで達してしまっています。
後者はどうでしょう。肉体的な制限は「障害物」となるかもしれませんが、精神は自由で可能性に満ちあふれていて、「人生の障害」にはなっていません。そうなると、もはやどちらが「障がい」があるのか分からなくなってきます。
実際に、自分の麻痺が広い範囲に及び、寝返りも打てない状態だった頃、とても穏やかで平安な気持ちで「やれることはたくさんある」と歓喜に満たされて、心に羽が生えたように感じたことが何度もありました。
それは、本や詩の一節、病魔から生還した人々の記録や生き様が、私に力強く語りかけてくれたからでした。
そして気づいたのです。
「どんな状況にいても、僕は制限を超えることができる。制限を作り出しているのは、自分自身なんだ」と。
このことが分かった私は、病になる前の自分より、とても自由になりました。「制限」や「障がい」は、「人生の障害」にはならないのです。
このことを物語る出来事がありました。
ある日、駅の改札を出たところで、背後から怒号のような大きな野太い声が聞こえてきました。何かを繰り返し叫んでいるようで、人のざわめきが感じられました。
気にせず前に進んでいると、声が一段と大きくなって、やがてはっきりと聞こえてきました。
それは「おい、そこの障がい者」という声でした。「え?誰のことかな」さらに進んでからこう思いました。
「あれ、まさか、私?えっ、私って障がい者だったっけ?でも私だったとしても、怒鳴られることなんて何もしていないし、振り向く必要もないさ」
普段から自分が「人生の障害」を感じていないからこそ、そうした態度が自然に出たのでしょう。その後、もう声は聞こえなくなり、まるで幻聴のような体験でした。
困難のレベルは下げられる
人生の困難の最中には、自分自身や周りのあらゆるものが一時的に「障害」に見えてしまうことが多いでしょう。けれども、それを「障害物」のレベルまで下げて、可能性を広げて切り拓いていく力が、私たちには備わっています。
そうやって、あなたは、これまで多くの困難を乗り越えてきたはずです。
小さい頃には、両親や家族から離れて寝泊まりしたり、ひとりでお使いにいったり、知らない土地を旅することが出きるようになるなんて想像もできなかったように。
例えば、困難や逆境が目の前にそびえる山だとして、この山を越えるための方法は、孤軍奮闘して麓から地道に登るだけではありません。
山に詳しいガイドに道案内してもらってもよいですし、周りの人に助けを求めたり、途中までロープウェイがあるなら使ってしまってもよいのです。
さらに、ぐるりと周り道をして、山裾をぐるっと周り山の反対側に行ってもいいわけです。
お金に余裕があるなら、ヘリコプターをチャーターして空中散歩しながら超えて行ってもいいですよね。少し気が楽になりませんか?
方法が一つしかないと思い込んでしまうと、解決策はさらに細い道になりがちです。しかも、よくその山を見てみたら、それほどでもなかった、ということもあり得ます。ドン・キホーテが風車を魔物と勘違いしてしまったように。
そんな時には、まず深呼吸して、一歩引いてみて、大きく捉えて、他の選択肢がないか考えてみましょう。
その時に例えば、これは3MST(3匹のモンスターがすっ飛んだ:オスカルの造語です^^)の4つ問いかけで考えてみるといいかもしれません。
Method: 方法や手段を変えてみたらどうだろう?
Man: 人にアドバイスや助けを求めたみたらどうだろう?
Money: お金を使ってみたらどうだろう?
Space: 対象を取り巻く空間を広く取り、視野を広げてみたらどうだろう?
Time: かける時間の長さや密度を変えて考えてみたらどうだろう?
ゲームのモンスターをやっつける気分で気を楽にして考えてみてください。
アイディアが浮かんでくると、心の負担が少し軽くなり、その道中を味わい楽しむことさえできると思いませんか?
そうすることで、「人生の困難」を「障害物」のレベルまで下げることができます。
不安にサヨナラする4つの質問
私たちが困難の大きさに圧倒されて、過度な不安や恐れが襲いかかると、被害や痛みを最小限に抑えて自分を守るために、予め最悪の事態を想定することが多くなると思います。無意識のうちにこの想像力が拡大、発展して、悲劇のストーリーやドラマを作り出してしまうこともあるでしょう。
この「不安(FEAR)」は、英語で次の頭文字を取って、False Experience appearing Reality(現実にように見える架空の経験)ともいわれるそうです(1)。
実際に、その最悪のストーリーが現実になることは、ほとんどないにも関わらず、私たちは取り越し苦労をしてしまいます。そして、そのストーリーをなかなか手放せずに後生大事にして、自分を痛め続けることさえあります。
これに自分自身の誤った思い込みや幻想がプラスされると、ネガティブなセルフトークが頭の中をぐるぐるとループし、負のスパイラルに入ってしまいます。
そんな不安に対処するのにうってつけの方法を見つけましたので、ご紹介します。
それは、米国の心理療法士ショーン・スティーブンソンさんが発見した、4つの質問に答えると言うシンプルなものです(1)。
スティーブンソンさんは、骨形成不全症という先天的な病により、身長が90cmあまりで車椅子に乗っています。そして、これまでに200箇所以上も骨折をした経験があるのだそうです。
ですから、いつ、どんなことで、どんな状況で骨折する事態となってしまうのか、という不安は人一倍大きかったと思います。それだけに、説得力がある方法です。
- 不安が現実になったら、何が起きるのか?
- 不安が現実になったら、何が起きないのか?
- 現実にならなかったら、何が起きるのか?
- 現実にならなかったら、何が起きないのか?
2番目と4番目の「何が起きないのか?」が少し想像しにくいですよね。
私はこの解釈に、「自分が何者になれていないのか」「どんな感情が湧いてこないのか」「何をしていないのか」「何を持っていないのか」を入れてみたら、答えられるようになりました。
不安が何度も出てきたら、ぜひこの質問に答えてみてください。紙に書いてみるのもオススメです。
答え終わった頃には、頭がすっきりして、何が起きても、何も起きなかったとしても、やってみようという気持ちがじんわりと高まってくるでしょう。
制限や思い込みを疑ってみよう
不安も解消できるようになり、行動ができるようになってきたら、やがて最後の砦、制限や思い込みのブロックがあることにうっすら気づくようになってくるのではないかと思います。
象は、子象の時に足の輪の鎖から逃れられなかった経験をずっと覚えていて、大人の象になってそれを壊すだけの力がついても、逃れられかった過去の思い込みによって、おとなしく金属の鎖に繋がれたままになる、と聞いたことがあります。私たちの制限や思い込みもそれに近いのではないでしょうか。
冒頭の思考実験の例のように、自分の思い込みにがんじがらめになってしまい、自分を苦しめ、「人生の障害」を負っている悲劇のドラマの役者になってしまっています。
そうした偽のドラマの本当のあなたではない主役を引きずり下ろして、他ならないあなたが人生の舵を握って主役になり、あなたらしい人生の航海を進めるためには、その制限に対する思い込みが本当なのかを疑ってみることが必要です。
また、その制限から逃れたい、乗り越えたいと思いつつも、動けない場合には、不安や恐れ、自信がないという理由だけなく、現状にとどまることの心地よさも無意識で感じている、ということもあるかもしれません。
あまり見たくはなかった一面に気づくかもしれませんが、それを良い悪いという尺度のフィルターで見るのではなく、ただあるがままに感じている自分を認めてあげてください。
いずれにしても、それらも一切合切、お天道様のもとにさらして、天日干しするくらいのオープンな気持ちで、内側にあるものをごっそり出してみましょう。
それには、次のような7つの問いかけをしてみるのも有効かもしれません。
- その制限や思い込みは、あなたにとって本当に制限になっていますか?
- その制限や思い込みがなかったら、現実はどう変わりますか?
- その制限や思い込みがあると、現実のどこが変わりませんか?
- その制限や思い込みを持つことのデメリットは何ですか?
- その制限や思い込みを手放さないメリットは何ですか?
- その制限や思い込みに対して、先の3MSTの質問を使い、乗り越え方をそれぞれ一つずつ挙げてみましょう。
- 6のうち、試してみたいものを行動してみましょう。
今まで覆い隠されていて光が当たらなかった部分に、揺さぶりをかける質問をして必要な知恵の光が当たると、それに応えてくれるかのように自分の中から答えが出てきます。
すぐに出なくでも焦らないでください。完璧なタイミングでやって来るはずです。それを受け取って行動しましょう。
行動することで乗り越える助けになり、さらに、制限や思い込みに陥っている自分に気づく速さが加速していきます。
そうやって玉ねぎの皮を剥くように一枚一枚剥がしていけばいくほど、制限や思い込みから自由になって、あなたにしか与えられない特別なギフトを世界に対して自在に与えることができるようになるでしょう。
・究極的には、「制限」や「障がい」は、「人生の障害」にはならない。
・解決策は「3匹のモンスターがすっ飛んだ」で見つけよう。
・不安がもたげたら、4つの質問でリセットしよう。
・制限や思い込みに気づきかけたら、根っこのところを疑ってみよう。
(1)言い訳にサヨナラすればあなたの人生は輝く(ショーン・スティーブンソン著、成甲書房)