感謝

ありのままに観ると結果が変わる

困難をギフトに変えるには、3つの力、感謝力、発見力、挑戦力があることを「困難をギフトに変える3つの力を知ろう」のブログの中でお伝えしました。

前回は、「ありのままに感謝する力」である「感謝力」を育む考え方のひとつ、「今ここにいるありがたみに想いを馳せる」ことについてお伝えしました。

今回は、物事を「ありのまま」に見ることについてお伝えしたいと思います。
それは、自分の思い込みや思い癖に気づく、ということです。曇ったメガネやそれこそ色眼鏡で物事を見てしまうと、偏った見方になったり、そもそも見えなかったりもします。

では、なぜ感謝力を高めるために、このことを知る必要があるのでしょうか。

それは、この曇りや汚れを取ることで、物事を「ありのまま」に観ることができるようになり、感謝することが自然と目の前に現れてくるからです。それはもともとあったのですが、「観える」から「気づく」のです。

このブログでは、感謝力を高めるための物事の見方、捉え方についてお伝えしていきます。

自分を傷つけるのは自分⁈

病になってから転院する度に、職業を訊ねる意味で色んな人から聞かれました。

「何をしていたのですか?」

「していた」という過去形の言い回しに、「今はそれをやっていないし、諦めてもいる」という無言のメッセージが暗に含まれていると錯覚していたのでしょう、小さな怒りも湧いて、同時に傷ついてもいました。聞いた本人に、その気持ちはないであろうにも関わらず、です。

そして、自分の小ささにも嫌気がさしました。確かに入院中は仕事をしていないので、聞く方からすれば、過去形でしか表現のしようがないのですが、自分が責められているように感じ、変に自分を守って過度に反応してしまう時期がありました。

相手からしてみれば、なぜ私が気分を害して眉間にシワが寄っているのかわかりません。その当時、私にとっては回復して復職することが最大の望みでした。それを望むことも否定され、できていない自分を責められているようにも感じたのだと思います。
ささいなことで人も自分も不快にさせてしまっている自分に、またダメ出しするというループにもはまってしまいました。

このように、出来事の解釈で結果がまったく違ったものになり、ときに周りの人だけでなく、自分さえも傷つけてしまうこともあります。このように解釈が偏ったものの見方や信念出会ったり、自分は正しいという思い込みによるものであったときに、現実とのギャップを感じて私たちは憤りを感じてしまうようです。

本来、起きている出来事は中立でニュートラルなものではないでしょうか。
先ほどの私の例で言えば、質問自体はいたってニュートラルです。そこには何かを意図したものもありませんでした。
はたからみると、ただ勝手に傷ついているようにも見えます。私に働くということに対する特別な思いや、働いていなければダメだという考えが奥底になかったら、反応はまったく変わったものになっているはずです。

つまり、自分を傷つけるのは、自分の偏った信念や思い込み、思い癖があるから、ということになります。

思考が変わると結果も変わる

これを読んでくださっている方の中には、人生の困難によって自分が傷つけられた、と感じている人もいることでしょう。それは、人間関係のもつれや病気やビジネスの不振、経済的な窮乏など様々だと思います。

けれども、一度立ち止まって自分に問いかける必要があるかもしれません。それは本当に外部によるものによってだろうか、と。
自分の中に、絶対に自分が正しいという思いや、偏った思い込みや信念はないだろうか、と。それは本当だろうかと見直すために、また、自分の中の癒されていない思い込みや信念がここにあるよと、自分の感情がざわめいて知らせてくれている、と言えるかもしれません。

この話をするとき、知的障がいを抱えたお子さんを授かり、早くに突然ご主人を亡くされ、またご自身は大動脈瘤の手術によって下半身に麻痺が残って車椅子生活をされている、岸田ひろ美さんの講演会での言葉を思い出します。

「見方を変えれば、人生が変わります」

「見方」、つまり自分の思考や信念のことです。

そして、ご自身の経験を踏まえながら、心理セラピストのアルバート・エリスさんが提唱されているABC理論について触れながらお話をされていました。

この理論では、ある出来事(A)が起こったときに、自分の思考や信念(B)が、結果(C)に作用すると考えるのだそうです。つまり、思考が異なれば、結果も変わるということです。著書(1)の中で、

こんな例を挙げています。

【出来事】病気の後遺症で歩けなくなった
【思考】一人で何もできないし、必要とされないだろう
【結果】この先の人生は真っ暗、絶望だ

これをよい思考に変えると、結果もよいものに変えていけます。

【出来事】病気の後遺症で歩けなくなった
【思考】今までとは違う人生を生きるチャンスかもしれない
【結果】歩けない私にしかできないことを見つけよう

岸田さんは、講演の中で「今が一番幸せ」だと、何のてらいもなく爽やかに仰っていました。このように、「見方」を変えると、どんな困難であろうと心豊かに、そして幸せに生きることができると、生きる姿で伝えてくださる方もいらっしゃいます。

現実と戦わない

独自の4つ質問で制限的な思い込みや信念に気づく「ワーク」の創始者、米国のバイロン・ケイティさんは、「現実に立ち向かうと、負けるだけです」と言います。
ここでいう「現実」とは、あなたの思い込みや偏った信念というフィルターを通した目の前の世界のことだと思います。

この「現実」という名の「幻想」と戦っている限り、勝てる見込みはありません。風車を魔物と勘違いして戦い挑むドン・キホーテのような構図になってしまうからです。「幻想」を幻想と知ることで、やっと戦いはおさまります。

あなたの頭の中で繰り広げられる、自分自身を否定したり傷つける戦いは、本当にその困難のせいでしょうか。自分を傷つけるのは自分自身の思い込みであって、誰もあなたを傷つけることはできません。
そして、自分をその幻想から解き放つために、あなたの頭の中で繰り返し起こっているのではないでしょうか。そのことに気づけたとき、困難=苦しみ、「現実」の犠牲者、という「幻想」から抜け出し、あなたらしい人生を歩き出せるようになるのだと思います。

未来のオスカルおじいさんとのおしゃべり(まとめ)

冒頭の私の例をもとに、ブログの内容を会話形式でまとめてみました。悩んでいるオスカルが、未来からやって来て他人を装って別人になりすましたオスカルおじいさんとの会話です(笑)

ぼく
ぼく
ある人が「何をしていたのですか」と訊いて私を傷つけたんです。復職するという望みを否定された、と感じました。

おじいさん
おじいさん
大切な想いを否定されて悲しかったんじゃのう。でもなぜ復職することが大切なんじゃろうか? 

ぼく
ぼく
それが回復したことの証になるからです。

おじいさん
おじいさん
本当じゃろうか?歩けるとか、普段通り生活できるようになるとか、旅行に行けるようなるとか、とにかく飛び跳ねるとか、色々ありそうじゃがのう?

ぼく
ぼく
確かに。

おじいさん
おじいさん
なぜ復職「しなくてはならない」んじゃろうか?

ぼく
ぼく
それがやるべきことだから。遅れを取りたくないから。これ以上、仕事で迷惑をかけたくないから。生活が不安だから、、、かなあ。

おじいさん
おじいさん
本当かのう?では、仮にもしお前さんが、もっと重篤な状態になってじゃよ、働くことなど考えられない状況にあったとしたら、同じ質問をされてどう感じるんじゃろうか?

ぼく
ぼく
一旦は諦めるかもしれないから、何も感じないかもしれません。新しい出発だと思って、イチから出直そうと思うかもしれませんね。

おじいさん
おじいさん
ほうほう。自身の状況によって、言葉の捉え方が違ったのがわかったかのう。前者はなぜ苦しいかと言えばじゃ、「復職しなければならない」という思いがあるからではないじゃろか。あんたは、後者のように新しい出発と捉えることもできたんじゃ。たくさんの選択肢があったんじゃ。でもお前さんは「復職すべきだ」という信念を選んで言葉を受け取ったもんで、傷つけられたと感じたわけじゃ。

ぼく
ぼく
無意識に選んでいるんですね。確かにそれしかない、というか、そうすべきと思っていました。でも、この思いでリハビリに励めたので、悪い思い込みには思えません。

おじいさん
おじいさん
そうじゃな。良いとか悪いとかではないんじゃ。ただ、その思い込みが強固で絶対に正しいんじゃ!、っちゅう思いがあると、それが大きな的になってじゃよ、ふとした出来事で矢が刺さりやすくなってしまうんじゃよ。

ぼく
ぼく
じゃあ、その的がなければ良いんですね。でもなくせるものなのでしょうか。

おじいさん
おじいさん
なくしたければ、なくせば良いんじゃないじゃろか。あんたが、より自分らしく生きるために。でも、一つ注意があるんじゃ。正しいんじゃ、という裏には、それを守るためにわしは我慢しているんじゃ、と人に強制する温床になったりもするんじゃ。

ぼく
ぼく
ああ、思い当たることがあります。自分の「復職すべきだ」というフィルターで人を見てしまったり、そこから離れている人を陰で羨ましいと思ったり、裁いていたり、、、。なんて自分は小さいんだろう。自分が嫌になってきてしまいます。

おじいさん
おじいさん
自分を責めることはないんじゃよ。そいつのお陰できついリハビリや痛みにも耐えて来られたんじゃろ。それに気づけただけでもよかったじゃないかい。これはじゃ、的があるとそういう仕組み、メカニズムになっておってな、ただあんたは、その仕組みに動かされただけなんじゃから。そして、その相手の方もじゃよ、的があるよと、わざわざ演じてくれていると考えてみたらどうじゃろか。

ぼく
ぼく
そう言われると救われます。この的が制限的な思い込みって代物なんですね。そっかあ、こういう時には、的があるよって知らせてくれる出来事なんだと受け止めればいいんですね!それに、相手も違う視点で見れる気がします。

おじいさん
おじいさん
ふむふむ、そう受け取れるようになれるじゃろうて。わしもかつて同じことを経験して、乗り越えてきたんじゃからのう。ふぉっふぉっふぉ。

自分の中で起こるこうした内なる葛藤、戦いの奥底にある思い込み、思い癖を探してみてください。

その時、あなたは「〜しなければならない」「〜すべきだ」という言葉を頭の中でこだまさせていたり、正義、正論を振りかざして何かや誰かを変えようとしている可能性があります。ですので、そうした思考や行動をしたり、しそうになった時が、チャンスやヒントになるでしょう。

そして、物事をありのままに観られたら、今度は先にご紹介した岸田さんのように、ご自身にとって良き見方、思考へと意識的して変えてみてください。思考が変わり、現実(の見え方)が変わり、行動が変わり、習慣が変わり、人生が変わっていきます。
メガネの曇りが取れて、ありのままに観られるようになることで、このプロセスも加速し、いかに感謝することに囲まれて住み暮らしているかにも、深く感じられるようになるでしょう。


(1)「ママ死にたいなら死んでもいいよ」(岸田ひろ美著、致知出版社)