感謝

今ここにいるありがたみに想いを馳せてみよう

私が病をギフトと言えるようになった経験から、困難をギフトに変えるには、3つの力があることを「困難をギフトに変える三つの力を知ろう」のブログの中でお伝えしました。3つの力とは、感謝力、発見力、挑戦力です。

今回は、そのうち「感謝力」を育む考え方をお伝えしていきます。ここでいう感謝力とは、「ありのままに感謝する力」のことを指しています。

感謝すると聞いて、「なかなかできない」、「そうは思えない」、「強制されてするものではないしなぁ」、と思う方もいるかもしれません。

でも安心してください。実は、練習すればできるようになる技術でもあるのです。順を追って読んでいただけたら、スムーズに練習できるマインドセットが自然に整っていることに気づくでしょう。

生かされているということ

入院中、さまざまな試練に立たされている人に出会いました。

余命宣告されたとは思えない清々しさを湛えた中年の男性から、退院前にお花をもらいました。若くして重度の障がいを負った青年が、誰もいないところで懸命にリハビリする姿に涙が出てきました。片足を失った女性から、自暴自棄になり自死しようと考えていた時に救われたと言われました。年老いて認知症と身体の障がいを併せもってしまった方がいましたが、笑顔が素敵でした。ある日ベッドが突然なくなることもありました。

こうした中で、麻痺があっても自分が生きているというこの動かしがたい事実と実感に感謝の念が自然と湧いてきました。

それには、発症した当初から、背後で起こっていた偶然とは思えないことにも少なからず影響されていたと思います。

引っ越しをしてすぐ、まだ部屋には冷蔵庫もないような状態で足の麻痺で床に倒れて、緊急搬送された翌日には、首から下がほとんど麻痺。進行が早かったため、受診や診断、入院のどれか一つでも遅れていたら、果たしてどうなっていたか分かりませんでした。

病気になる一週間前に急性胃腸炎で内科を訪ね、その先生が私の症状からギラン・バレー症候群ではないかと、すぐさま大学病院に紹介状を書いて下さいました。この病気は、診断が遅れることもよくあるようで、内科の先生の慧眼に救われたのです。

しかも後で調べてみれば、紹介された大学病院は、日本全国から抗体検査の依頼がなされるほど、この病気に関して知見を多く持っているところ。同じ県内でしかもタクシーで二十分ほどの距離にありました。

大学病院は満床で入院できませんでしたが、受診した先生も同乗して緊急搬送された病院は、新しく出来たばかりの棟で、主治医やスタッフにも恵まれ、抗体の検査も先の大学病院でなされる連携が取れていたのです。不幸中の幸いとはこうしたことを言うのでしょう。

こうした経験を通じて、体がほとんど動かず重篤な状態であったにも関わらず、頭は妙に冴えていて、心は平安で「生かされている」と感じたことをよく覚えています。

今でも、目をつぶって深呼吸をすると、「生かされている」と感じ、ありがとうございます、と自然に言葉が出てきて、穏やかで満ち足りた気持ちになります。

当たり前に慣れてしまうと、どれだけたくさんの恩恵や幸せの中に囲まれているかに気づけなくなってしまいます。それを失ったり、失くす経験があってはじめて、本当に気づけるという意味で、人生の困難や逆境は、当たり前の日常に隠された「ありがたさ」「かけがえのなさ」を教えてくれる機会でもあります。そして、何が自分にとって大切なことなのかをはっきりと思い出させてもくれます。

今ここにいる、ということ

あなたがここにいる、ということ。それはとりもなおさず、両親がいて、祖父母がいてと、一度も失われることもなく連綿と続いてきた命があるということです。

実際にあなたに至るまでにどれだけのご先祖様がいたのかを数えてみたことはありますか?

両親には、それぞれ両親(祖父母)が2人ずついるので、祖父母は4人おり、この時点で合計すると6人です。そして4人の祖父母にもそれぞれ両親がいるので、曽祖父母は8人で合計して14人。
このようにしてどんどん遡っていくと、10代で2,046人。20代で約210万人。
30代までいくと、何と約21億5千万人のご先祖様がいることになるのです!
その先頭にいるのが、あなたです。1代が30年としたら、30代は今から900年前。1,100年頃といえば平安時代です。でもまだまだ続いていきます。

この間、ただの一度も命のリレーが途切れることがなかったからこそ、あなたがいます。

飢えや戦いや争い、時代や環境の変化など、今の世の中では想像もできないような苦難や困難があったことでしょう。それをたくましく次々と乗り越えてきたご先祖様が伝えてくれた命です。そして、その最先端に存在しているのがあなたです。ほとんど奇跡のように思えないでしょうか。

そして、私たちがこの世に生を受ける確率に関して、遺伝子学者の村上和雄さんは、「100万回連続で宝くじに当たるようなもの」と仰っています。あなただけでなく、ご先祖様もそれこそ奇跡的な確率で生まれてきて、あなたに繋がっています。

このようにして命の物語に想いを馳せ、自分の身体を感じるとき、あなたの目にこの世界はどのように映るでしょうか?

当たり前が支えてくれている

装具で足をガチガチに固めて、赤ちゃんが使うような歩行器で歩く練習をし始めた頃、私は獣のようなうなり声を出していました。身体の姿勢や足の運び、重心などあらゆることを意識しないと歩けず、まるで知らないことを一から覚えるかのようでした。これほどまでに難しいことを無意識にやっていたのが驚きでした。
麻痺した足を何とか動かし、脳をフル回転させて覚えさせるために「ウオー」という声が必要だったようです(笑)。

当たり前だったことができなくなると、その「当たり前」のことがどれだけ自分を支えてくれていて、素晴らしいものであったかに気づきます。人生の困難という荒波によって、もしかしたらあなたは何かを失ったりできなくなってしまい、以前の「当たり前」がどれほど大切なものであるかを噛みしめているかもしれません。

そして今、あなたはこのブログを読んでいます。

文字が見えるか、点字にがわかるか、人の朗読、機械の音声を聞くことができなければ、「読む」ことはできないでしょう。ページをスクロールするには、指の力があるか、他の身体の一部を使うか、音声入力したり、誰かにお願いできる関係性がないとできません。
また、インターネットに接続できるスマートフォンやパソコンなどの通信機器が手元にあるのは、買うお金があったり、借りられる環境にあったり、援助してくれる人がいなければなりません。そして、読むには言語を理解していなければなりませんし、読み続けるには、自発呼吸でも人工呼吸器によってでも息をしなければなりません。さらに、食事やチューブで栄養を取らなければなりません。
あなたにとっては、どれも「当たり前」のことかもしれません。そして無意識でやっていることも多いでしょう。けれども、それが「当たり前」でない人も、難しい人もいます。
どれだけの「当たり前」に取り込まれていることでしょう。

置かれた環境や状況によって差はありますが、「当たり前」はあなたがあなたらしくいられるように、陰ながら精一杯支えてくれています。どれだけの「当たり前」に囲まれているのか、一度意識して味わってみましょう。そして、感謝の気持ちを表現してみましょう。

感謝を数えるのは技術

生前は年に300回もの講演で全国を飛び回っていたベストセラー作家である小林正観さんは、自分に対して幸せなことを431万7800個も挙げられると仰っています。感謝について次にように語っています。幸せに導く感謝を数えることは、技術でもあるのです。

「目が見えることも幸せ。耳が聞こえることも幸せ。食べられることも幸せ。呼吸ができることも幸せ。話せることも幸せ。右手の親指が使えることも幸せ。(中略)
幸せってね、数える技術を身につけてはじめて、滅茶苦茶に増えるんですよ。幸せは“見る目”っていうのが身につかない限り永久に数え上げられないんです。
幸せというのは向こうからやってくるものではなくて、すでに自分を山ほど取り囲んでいるものにどれほど気づくかってだけなんだよ。(中略)
幸せを数える技術、気がつく技術というのを自分が広げていくと、私たちは実はものすごい幸せの中に住み暮らしていることに気がつく。これの根源になっているものが、感謝の心、“ありがとう”というものです」

宇宙に応援される生き方(小林正観講演録、致知出版社)

今、この瞬間にあなたがいること、身体があり、パートナーや家族、ご先祖様があり、地域があり、国があり、自然があり、地球があり、宇宙があること。
まずはご自身の体からはじめて、自分の意識を拡張し、とり囲まれているたくさんの「当たり前」に感謝してみましょう。


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