感謝

無条件の感謝で救われる

無条件の感謝とは

感謝についての力と意味について知ったのは、病気になる数ヶ月前でした。でも当時は本当の意味をわかっていませんでした。

私たちは、自分にとって何かよいことやありがたいことがあったときに感謝をします。

しかし、それは感謝の一面です。過去に経験した苦難や災いに対しても、「それがなかったら、今の自分はいなかった」と感謝することがあるからです。
前者は偏った条件付きの感謝であり、後者は無条件の感謝です。

無条件の感謝の状態では、正と負、恵みと危機の両面の真実をありのままに見ることができているので、視野は広く賢明で確信に満ちています。

私たちは、どうしても片方の面ばかりを見て一喜一憂をしてしまい、条件付きの感謝しかできなくなってしまいます。私もよくしてしまいます。

けれども、逆境や困難は、無条件の感謝の境地があることを思い出させてくれます。

そして無条件の感謝になる時、困難や問題はもはや頭を悩ますものではなくなり、あらゆる可能性に私たちの心は開かれて、足取りも軽やかになり、新しいステージや世界が目の前に開かれます。

私が病床で病に隠された恵みを数え始めたのは、この条件付きの感謝から無条件の感謝の道に進むためのステップとして必要なことだったのだと、今ならわかります。

片方だけ見ていたら、病に向き合うことを拒否して、自分を襲う不安や恐れ、悲しみ、後悔、罪悪感などの感情に翻弄されて、長く心を閉ざしたまま身動きが取れずにいたでしょう。

無理に感謝をする必要はありません。ただ目の前のことにしっかりと目を向けることができれば、ここにありますよ、と出てくるはずです。

かくいう私も、はじめは看護師さんが何かをしてくれた、というたったひとつのことしか、挙げられずにいたことを思い出します。

毎日数えていると不思議なもので、探すのを助けてくれているかのように、感謝することは増えていきました。しかも、自分にとって都合のよいことでなくとも、その背後に隠されたことに気づき感謝する回数も増えていきました。

つまり、どちらのことが起こっても、ありがとうございます、という気持ちでいる時間が増えていったのです。 

ありがとうの真髄 

日本語には、感謝を表す言葉に「ありがとう」があります。

「有難い」=「起こりにくい」ことを起こしてくれた神様に感謝と祈りを捧げる言葉として生まれた、と本で読んだことがあります。

本当に起こりにくいのは、今、ここに私たちがいることではないでしょうか。

遺伝子学者の村上和雄さんによると、私たちがこの世に生まれる確率は、
「宝くじに百万回連続当たるようなもの」
だと仰っています。

そして物理学者からも、私たちがいるこの宇宙の構造を決めている物理定数が、ほんのわずかに外れたとしても、人間は存在することができなかったと言われています。

つまり、今、私たちが存在しているような宇宙となるのは、ほとんど奇跡なのです。

それほどまでに「有難い世界」で、「有難い存在」として、私たちはこの世に生を受けています。まさに、ありがたいのオンパレードです。

そして、その「有難い存在」として、ご先祖様は連綿と命のバトンをつなげて、あなたに至りました。ただの一人欠けても、私もあなたも存在することができませんでした。こうして私が書いたものを、あなたが今読んでいることも、一期一会を超えた奇跡です。

それが、どれだけすごいことなのか、例を挙げてみましょう。

例えば、あなたを起点として、まずお父さんとお母さんがおり、さらに父方母方それぞれにお父さん(あなたから見てお祖父さん)、お母さん(あなたから見てお祖母さん)がおり、とご先祖様を十代遡っていくと、ご先祖様の総数は2,046人にもなります。

では、二十代ではどうなると思いますか?

なんと、2,097,150人、約210万人です。

では、三十代だとどれくらいまでになると思いますか?想像もつきませんか?

発表します。

 

なんとその数、2,147,483,646人、約21億5千万人にもなるのです。

三十代まで遡ると、一代を三十年として、九百年前、平安時代です。でも実際にはその先も、人類誕生まで続いていくわけで、天文学的な人数のご先祖さまがいるのです。

そして、その最先端にあなたがいます。

それほど多くのご先祖さまのうち、ただの一人でも欠けていたら、あなたはここにいないということ。ここに存在していること、それ自体が奇跡で素晴らしいことです。
それほどまでに「有難い」ことがあるでしょうか。

感謝と救いのヒント

自分だけに都合の良い、その場限りの偏った恵みだけをありがたいと感謝するのも「有難い」ことがあるからです。

けれども、もしこの世界を創られた神様や高次の存在や宇宙の意思というものがあるとしたら、反対側のネガティブな出来事の中に隠された恵にも気づいて感謝し、世界をあるがままにまるごと味わって欲しいと思うのではないでしょうか。

なぜなら、この「有難い世界」にこうした出来事が在る、のですから。

私たちは「あの時の困難や逆境は、こういうことだったのか。あの時のお陰なのだな」と気づく時、言い知れぬ安堵感と晴れやかな清々しさ、自分の成長を祝福したくなる気持ちになります。

それはこの宇宙が、あるがままを無条件に感謝できることに価値を置くからこそ、大切なことを私たちに思い出させるために、そうした感覚が得られる設計図を私たちの体に組み込んでくれたのかもしれません。

「有難い存在」として「有難い世界」を丸ごとあるがまま、無条件に「ありがたい」と感謝する。

それは誰にでも初めから簡単にできる、というものではないかもしれませんが、この世界のしくみとして、人は最終的にそのことに気づくようになっているようです。

私たちが、ものごとの二面性がもたらす狂気の沙汰のダンスや苦悩から救われるヒントは、この無条件の感謝にあるのではないでしょうか。