すべてに意味がある・つながっている
私は、なぜ自分が病や障がいをギフトと言えるようになったのか、自分なりに考えてきました。
そして、私の物事の考え方のベースには、すべては自分の成長のために起こっていて、すべてに意味がある、と捉えていることが大きな役割を果たしている、とある言葉を目にして確信しました。
それは、自分の制限的な思い込みに気づくワークを発見したバイロン・ケイティさんの次の言葉でした。
「すべてはあなたに対してではなく、あなたのために起こっている」。
ザ・ワーク(バイロン・ケイティ著、ダイヤモンド社)
あなたがこれまで歩いてきた人生の道のりを俯瞰して見ると、アップル創業者のスティーブ・ジョブスさんが言ったように「人生の点と点がつながる」ように感じる方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
そしてその中には、嵐に飲み込まれてしまうような大変な状況も含まれていることでしょう。でも今では、その嵐は友達になっているかもしれません。
そんな風に思えるとき、その嵐はあなたをこっぴどくやっつけようとしてやって来た「アラシ」としてではなく、あなたの成長のためにやって来た愛ある「あらし」と感じられるのではないでしょうか。
もし、選り好みをすることなく、すべての出来事があなたのために起こっているとしたら、どんな世界が目の前に広がっていますか?
「嵐」を「あらし」に変える
とはいえ、できることなら嵐は避けたいというのが心情であり、避けるための努力はしたほうがよいでしょう。自分のための嵐なのだから、とにかく前に突き進めと言っているわけではありません。
でも万が一、嵐に遭ってしまったときには、変えられないことを嘆いたり、ないものとして顔や目を逸らそうとしたりしても、嵐に負けるだけです。
嵐を嵐として受け止めて、それが心や体をどう過ぎ去っていくのか、静かにつぶさに観察するだけでよいのだと思います。そうすれば、嵐そのものには恩恵も危機もあることがきっと見えてくるはずです。そしてやがて「あらし」になります。
そもそも私たちがこうして生かされていて、存在していること自体、私たちにとって何の意味もないわけがありません。宇宙や自然の中には、意味のない存在はないからです。そして、そんな意味ある世界の中で起こっている現象や出来事にも意味があるはずです。
だから、すべては私たちのために起こっているはずなのです。そのすべてを味わい、嵐を「あらし」にして感謝に変えるために。
ですから、「乗り越えられない試練は与えられない」という言葉は慰めなどではなく、何世代にも渡って伝え続けられてきた人生の真実なのだと思います。